昭和42年京都太秦生まれ。

幼少の頃より人と違う派手なことが好きで、初めて買ってもらった自転車も赤のピーターパンでした。

マツダのディーラーに勤めていた父の影響もあり、子供の頃から自動車が大好きで、スーパーカーブームもど真ん中で体験しました。

子供の頃は手を動かすことと、音楽を聴くことが大好きで、沢山の絵を描いて、沢山のプラモデル作りや工作をし、よく音楽を聴いてました。

好きなことは寝食を忘れて夢中でやる性格でした。

中学の中頃から、全てにおいて自分とシンクロしたHard Core Punkに傾倒し、今現在も現役で活躍中の仲間達とGREED(グリード)と言うバンドを結成して、ド派手な出で立ちでマイクを持ち、ライブ活動などを行った時期があります。

店名に含まれる「HC」の文字はHard Coreの略でもありますが、その音楽活動とは別に仕事に対する姿勢として「妥協しない徹底した」と言った本来の意味でも付けています。

その時期の多くの仲間達との繋がりは現在も続いており、ジャンルを問わず多くの現役音楽関係者も多く来店してくれています。

十代後半は峠ブーム真っ只中で、バイクで峠やサーキットに通い、生来の負けず嫌いもあって走る楽しみにどっぷり浸かりました。

20代となり部品商へ就職。

その会社は整備工場を併設した当時地元で最も在庫量が多いと言われる部品商で、国内全メーカーの新旧のパーツリストや膨大な部品のストックがあり、資料や現物のパーツを手にとって見ることが出来たことと、顧客は全てが自動車のプロと言う恵まれた環境のお蔭で、他では絶対に出来なかった貴重な経験と勉強が出来ました。

現在仕事をする上でも、少し人と違ったアプローチが出来るのは、この部品商での経験に拠るところが大きいです。

その頃に初めて買った車が、L28改・3リッター・ウェーバー45パイのフェアレディーZ・S30で、免許を取る前から乗るには旧車しか無いと思っていましたので、ごく当たり前の選択でした。

しかし時代はバブル期、どんどん愛車を進化させて行く友人達に安月給の身では勝ち目は無く、別の選択肢を探します。

そうした中、偶然にも某所で下取りに入ったKPB310サニーを入手し、以前に鈴鹿サーキットで見たTS(N2)サニーに近づけたいとL型からA型にスイッチしました。

A型はプライベーターが触るにも格好の素材で、多くの資料やパーツに囲まれる職場の好条件もあり、次第に深いレベルにまで足を踏み入れて行く事となります。

そんなバブルの頃でしたし、意欲旺盛にもっと別の世界を見たいと次第に思うようになります。

仲の良い友人2人は当時のCカーをドライブさせていたドライバーさんの個人スタッフになっていて、派手な世界を見聞きしたり、自身もパワー志向やレース志向の色んなショップさんに顔を出したりして、よりディープな勉強をしたい思うこともあり、恵まれた環境であった会社を退社。

今度は友人の紹介で外車を多く扱うタイヤ屋さんに勤めますが、チューニングと聞いていた内容は単にエアロの取り付けであったりし、内容の薄さに次の転機を伺ってた時に友人が開こうとしていたショップへの手伝いを頼まれます。

大して何も出来ないのにチーフメカニック兼雑用係で、多くの改造車や中古車を扱う上、時代は違法改造から公認車検へと移り変わろうとしていた時期で、そこで多くの公認改造車に関わりました。

その関係などで大阪の某L型系ショップにも顔を出すようになり、メカ&ターボの当時のトップクラスの馬力を生み出す現場に毎日のように通うと共に、そのドラッグレースチームの一員として富士スピードウェイで行われていたドラッグレースにも複数年のシリーズを通して参加しました。

そこで日本で初となる本格的なアメリカのドラッグマシーンの走行を目の当たりにし、そのあまりにも桁違いの速さと迫力、作り込みの綺麗さに衝撃を受け、数少ない洋書などを買い漁って勉強しました。

当時はドラッグレースも盛り上がっていましたが、サーキットでの走行会もブームで、多くの仲間と中山サーキットなどの走行会に参加しました。

走行会前ともなると何台もの車を必死にメンテし、大型の積載車で現地へ運ぶと言った状況で、この頃から足周りや車体などをトータルで考えられるようになり始めました。

それと同時にアメリカで最先端のレースカーやパーツを見たいと思うようになり、勉強と買い付けを兼ねて何度か渡米しました。

この時に数々のショップやショーなどを訪れ、まだ日本国内ではあまり流通していなかったパーツ(特にエンジンパーツなど)を探し回ったり、色んなことを本場で見聞きしたことが、大きな経験と視野の広さを与えてくれました。

 その後、その友人のショップを取り巻く環境に疑問を感じ、多くの仲間と一緒にそのショップを離れます。

次は自動車ガラスの製造をしたりした後、一人の友人と一緒にJOINT言う屋号で自動車に関する業務を始めました。

最初に仕入れで買ったのは何故かコルベットスティングレーでした。

その頃には自分の何台目かのサニーも京都初のど派手なフル公認・TSサニー風となり、ストリートゼロヨンなどでは簡単に負ける事が無いぐらいのパワーを誇るようになっていましたが、資金の捻出のために売却。

その後に一人で仕事をすることとなり、多くの旧車をストックし、メンテ、修理、ユーザー車検代行業や、保険代理店業、フイルム施工、オーディオ、ネットオークションなど他分野も独学で学び、器用さを生かして長期間に亘り色々とやりましたが、次第に周りがファミリーカーばかりとなり、仕事に少し面白みが無くなりました。

周りの仲間の多くはドライバーやレースメンテナンスなど活躍の場を広げて行ってましたが、メンテ作業そのものは別として、当時のレースシーン(特に車種)にはあまり興味が湧かず、多少のお手伝い程度で関与しました。

その後、バイクでの大事故があったり、再渡米があったり、人間関係で痛い目にあったりし、一旦全てを廃業して製造業で物づくりの勉強をしたりと色んなことがありました。

 

そんな中、神経質な自分が整備に出したいと思う自動車屋さんが無いこと、世の中には良いショップに巡り合えず彷徨うユーザーさんも多いこと、ロードスターや旧車など自分の好きな車を好きなように仕上げるにはガレージ程度では無理であること(?)に気づき、また再び自動車を生業としたいと漠然と思っていたところ、友人の紹介で2006年に今の場所で業務を始められることとなり現在に至っています。

 

当初よりどんな車に対しても妥協せず徹底すること、各作業部位は綺麗にすることなどを目標に頑張ってきましたが、まだまだ勉強不足や設備の不足もあり、これからも努力して先を行く人に追いつかなくてはと日々感じています。

 

 

性格的には楽天家で明るく、誰とでもすぐに仲良くなれます。

また人や物に対する好き嫌いもあまりありませんし、何にでも興味があり好奇心旺盛です。

几帳面ですが、全てにそれをやると神経がもたないので、仕事以外では手を抜いているところも多くあります(苦笑)。

好きなことはもちろん自動車を触ることですが、その為の勉強も大好きなので、絶えず情報収集と、その取捨選択を趣味としてやっています。

真剣に仕事するとすごく勘が冴えるような気がします(?)。

基本的に根はすごく真面目です。

その時々で変化する法よりも、不変のモラルを重視します。

物事は表層ではなく、本質で見る癖があります。

思考は多面かつ多層ですので、掘ってみると面白いかも。

タバコは今のところ吸いますが、過去に禁煙歴があります。

ギャンブルと酒はやりません。

嫁さんが一人居ます。

 

 

こんな私ですが、これからも多くの方々に喜んで頂けるように、明るく精進を続けて行きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。